島原手延そうめんの歴史

そうめんの起源

そもそも素麺は奈良時代に中国から伝わったとされる「索餅」が起源となっています。
遣唐使が活躍し、醤油や納豆などの伝統食品と同時に索餅は日本に持ち込まれました。
索餅とは小麦粉と米の粉を練り、それを縄のような形にねじった食品であったと考えられています。

そうめんの起源

島原素麺の始まりは時代を遡ること360年以上も昔のこと。かの有名な島原の乱によって島原南部の農民がいなくなり人口が激減してしまったため、農 村を復興すべく幕府は強制移民を行いました。全国から移民が島原に入りましたがその中でも小豆島からの移民がそうめん作りを広めたと言われています。
島原の地は、温暖な気候でそうめん作りに適していたために産地として発展していき、その実力はトップブランド業者が自らのブランドとして売り出すほどまで成長し、その長い歴史と熟練された製法は今日まで受け継がれてきました。
そして現在、島原手延そうめんは全国の生産量の約3割を占め、夏の売れ筋商品として発売されております。

そうめんの起源

中国の故事によると、七夕に索餅を食べると疫病にかからないとされていたため、これにのっとり、平安・鎌倉時代の七夕の儀式で索餅は欠かせない供物とされてきました。
そして江戸時代中期から民衆の間で七夕に素麺を贈る習慣が普及したとのことで、七夕行事とは深い関係があり、7月7日を「乾麺デー」と定めたことから各産地で関連行事を催しています。

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